公益財団法人三島海雲記念財団

Mishima Kaiun Memorial Foundation

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三島海雲学術賞フォローアップインタビュー

これまでの三島海雲学術賞受賞者の方に、ご専門分野や受賞研究、最近のトピックスなどをお聞きするシリーズです。今回は2017年度(第6回) 受賞 自然科学部門で受賞された五十嵐 啓先生です。

匂いの認識メカニズムを解き明かす五十嵐 啓
カリフォルニア大学アーバイン校医学部 神経科学解剖学科 助教授

未知の領域が多かった、"香り"感覚の構造

神経科学を専門に、「香り」の感覚をつかさどる脳生理メカニズムを研究しています。食を支える重要な感覚である嗅覚は、ある香りが過去の記憶を想起させることもあるように、私たちの記憶とも強く結びついています。その生理機構の解明は、食生活の向上、嗅覚機能の脱落によって失われる生活の質の改善などに貢献すると考えられます。

脳の領域に関心を抱いたのは高校生の時、利根川進さんと立花隆さんの『精神と物質』を読んだことがきっかけです。その後、東京大学の森憲作先生に師事して以来、一貫して嗅覚をテーマにしています。

匂いの分子は、鼻の粘膜である「嗅上皮」から体内に入り、香り情報として脳の「1次嗅覚野(嗅球)」に運ばれます。しかし、実際に脳の中でどのように処理され、香りの感覚を作り出しているのかということは、私が研究をスタートした2000年代初頭において、ほとんど明らかになっていませんでした。
そこで私は、電気生理学や光学イメージング法の技術を活用することで、香り情報を処理する「1次嗅覚野(嗅球)」「2次嗅覚野(嗅皮質)」、香りを記憶する「嗅内皮質」「海馬」などの脳領域についての研究活動を続けてきました。

無数の香り分子が、情報として処理されるプロセス

2001年から2008年頃まで取り組んだ、「1次嗅覚野(嗅球)」における研究では、麻酔下ラットに200 種類以上の香り分子を嗅がせ、1次嗅覚野の神経活動を記録していきました。その結果、1次嗅覚野は数十万種類もの香り分子の情報を、各分子が持つ「化学官能基」の構造ごとに分類・仕分けをしていることが明らかになりました。

2008年頃からは、1次嗅覚野から香り情報が運ばれ、認識や記憶を担うと考えられていた「2次嗅覚野(嗅皮質)」についての研究をスタートしました。実験を続けた結果、香り情報は1次嗅覚野で分解され、二つの経路によって2次嗅覚野における別の部位に送られることが判明しました。脳には、香りそのものが存在することを急いで知らせる経路と、時間をかけてどのような香りかを伝える経路とが、別々に存在することが分かりました。

その後、ノルウェー科学技術大学に拠点を移し、生理学的に香り情報がどのように処理されているのかを研究しました。ラットが学習できる香りと場所を連合的に記憶させる学習タスクを開発し、細胞が持つ情報が記憶のプロセスの中でどう変化するかを記録。細胞レベルでの応答を発見しました。同研究で分かったことは、香り記憶は、脳の個別の領域である「嗅内皮質」と「海馬」が、情報交換を高めることで形成されていることです。
研究成果は、ノルウェーでお世話になったEdvard Moser・May-Britt Moser 両教授のノーベル医学・生理学賞受賞にも貢献しています。

これらの研究により、2017年度に三島海雲学術賞を受賞させていただくことができました。日本では若手向けの学術賞が少ない中、三島海雲学術賞は私のキャリアを大きく前進させるきっかけになっています。今後も、次世代の研究者に対する活動支援を継続していただきたいと思います。

アルツハイマー病に深く関わる部位を発見

2016年からはカルフォルニア大学アーバイン校を拠点に、快楽物質とも呼ばれる「ドーパミン」と「嗅内皮質」との関係を研究しています。嗅内皮質は、2次嗅覚野と記憶をつかさどる「海馬」のつなぎ目となる部位です。香りのような日常的な記憶に対しドーパミンが関与していることは、神経科学における大きな発見となりました

また現在は、アルツアイマー病にもアプローチしています。記憶の障がいであるアルツハイマー病では、匂いの感覚が最初に失われるといわれており、嗅内皮質の細胞が発病初期に死滅することも分かっていましたが、その原因は解明されていませんでした。
そこで、アルツハイマー病モデルマウスによる研究を重ねたところ、嗅内皮質の活動が低下し、海馬の空間識別機能が障害されることが判明。嗅内皮質の回復がアルツハイマー病の治療に貢献する可能性を示すことができました。

 

アメリカでの研究活動とコロナ禍による行動制限

新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大したのは、アメリカで研究を開始してしばらく経った頃です。私の研究室は研究員、技術員、大学院生から構成されますが、日本からの留学生が渡航できなかったことで、研究活動にも影響が及びました。「日本の学生を育成し、母国に恩返しをしたい」という思いもあったので、教育活動が停滞したことも残念に思います。

学会やセミナーをはじめとした研究者同士の交流機会も減り、自身の活動を社会に発信することも困難になりました。海外を拠点とする研究者として、行動制限の影響を強く感じた時期でしたが、今後も負けることなく活動を持続したいと考えています。

基礎科学を超えた、研究の発展を目指して

私にとっての研究のゴールは、匂いの認識メカニズムを解明することです。今後はこれまでの研究をベースにしながら、基礎科学を超えたさまざまな分野においても発展させていきたいと考えています。食品科学への応用や、アルツハイマー病やパーキンソン病などの予防など、さまざまな領域につながる香りのメカニズム解明は、未来社会をより良くすることができると信じています。

2022年04月11日

五十嵐 啓
カリフォルニア大学アーバイン校医学部 神経科学解剖学科 助教授

2007年 東京大学大学院 医学系研究科博士課程修了
2007年 博士(医学)の学位取得(東京大学)
2007年 理化学研究所脳科学総合研究センター 谷藤研究室学振研究員(PD)
2009年 ノルウェー科学技術大学 Edvard & May-Britt Moser研究室 博士研究員
2013年 ノルウェー科学技術大学 Edvard & May-Britt Moser研究室 助教
2016年 カルフォルニア大学アーバイン校医学部 神経科学・解剖学科 助教授