公益財団法人三島海雲記念財団
Mishima Kaiun Memorial Foundation
内助の功
妻 琴、海雲の療養費を工面するため、石井光次郎夫人 久子さん、長女朝吹京子さんと、有楽町に喫茶店を開く
当時ヒットした映画の同名主題歌「銀座カンカン娘」に、
モダンな飲み物「カルピス」が登場
銀行の協調融資を受ける。責任を取って取締役社長を辞任
カルピス食品工業株式会社 取締役社長に復帰
ピルマン製造株式会社設立
東京大学 坂口謹一郎博士の協力により、果汁を使用した
ヨーグルトの開発に成功。「ピルマン」ヨーグルトとして発売
三島海雲を敬愛するカルピス社役員、社員一同が顕彰碑を建立
三島海雲顕彰碑
(東京築地本願寺和田堀廟所)
「カルピス」相模工場完成 岡本太郎がモザイク・タイルによる
壁画「初恋」を制作
私財すべてを投じ
財団法人三島海雲記念財団設立
第1回理事会・評議員会(昭和38年 1963年 2月8日)
前列左から、西村直己、石井光次郎、栗田淳一、天野貞祐、三島海雲、向井忠晴、川西実三、坂口謹一郎、
後列左から、中山仙造、飯塚廣、羽田明、土倉富士雄、中道健太郎、田村実造、三島克騰
第1回学術研究奨励金交付
第1回贈呈式(昭和38年 1963年)
勲三等瑞宝章受章
社長時代の三島海雲(昭和43年 1968年 90歳)
財団の寄付行為として、京都大学 羽田記念館を寄贈し、完成
羽田記念館
大正11年(1922年) よりはじめた富士登山。88歳のこの年も人々の繁栄を祈るため富士登山を敢行
富士山頂に中林梧竹の「鎮國之山」碑を再建
カルピス食品工業株式会社取締役社長を勇退
「仏教聖典」(山口益編) 出版
12月28日逝去(享年97歳) 正五位を叙せられる