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公益財団法人三島海雲記念財団
三島海雲について

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三島海雲について

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三島海雲(28歳)

カルピス生みの親

1878年(明治11年)大阪府いまの箕面市の寺に生まれた三島海雲は、西本願寺文学寮そして仏教大学に学び、24歳の時、青雲の志を抱いて中国大陸へ渡ります。やがて仕事で訪れた内モンゴルの地で、遊牧民の活力源と言われる酸乳(発酵乳)に出会いました。
1915年(大正4年)帰国後、自らの内モンゴルでの体験をもとに、乳酸菌を活用した食品の事業化に取組み、苦心の末、1919年(大正8年)7月7日七夕の日に、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」を発売。「カル」はカルシウム、「ピス」はおいしさを表すサンスクリット語から自身が命名。水玉のデザインは天の川、銀河の流星をかたちどったものです。
三島海雲は「カルピス」を日本を代表する飲み物に育て、長く経営の第一線にありましたが、1970年(昭和45年)91歳で取締役社長を勇退。1962年(昭和37年)84歳のときに、全私財を投じ三島海雲記念財団を設立しました。

「カルピス」生みの親であり、三島海雲記念財団の創設者 三島海雲の生涯を明治・大正・昭和と年譜でご紹介しております。
本ページは三島海雲が1878年 (明治11年)大阪府で誕生から31歳内モンゴルにて綿羊の改良に着手するまでの明治時代をご紹介しています。

「カルピス」生みの親であり、三島記念財団の創設者 実業家 三島海雲が大切にした言葉、名言を「事業に対する理念」「人生哲学」「財団の設立」の3つの柱に分けて紹介しています。

三島海雲は大正11年、自己修養と「カルピス」にかかわる人々の繁栄を祈るため初めて富士山頂に登りました。以来、ほぼ毎年「カルピス」発売日の7月7日近辺に富士登山を試み、その思いを暑中はがきに託して富士山から投函を続けました。三島海雲の富士山からの暑中はがきをご紹介しています。